阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)-vol.4
2022.12.28
2021年4月にMediumにて掲載した文章を数回に分けて,再掲載します。
vol.4---
すべてのものが「透明」となり「光」と化して,経験的世界における事物特有の相互障礙性を失い,互いに他に滲透し,互いに他を映し合いながら,相入相即し渾融する.重々無尽に交錯する光に荘厳されて,燦爛と現成する世界.これこそ,まさに華厳の世界,海印三昧と呼ばれる禅定意識に現れる蓮華蔵世界海そのものの光景であろう.
では,この華厳とプロティノスの著しい類似はどこからきたのか.学者の一部には,プロティノスが華厳を直接的に知っていて,その影響を受けたのではないかとする人もいるらしい.というのも,プロティノスがインドの宗教・哲学に対して憧憬に近い関心を抱いていたことは周知の事実であり,彼がアレクサンドリア及びローマで活躍していた西暦三世紀頃はインドにおける大乗仏教の興隆期であったことも全く無関係とは言えないだろう.またその頃の地中海の大国際都市アレクサンドリアには,既に相当有力な仏教コミュニティが存在していたらしいとのことで,あれほどインドに烈しく惹かれていたプロティノスがアレクサンドリアで10年間程暮らしていた間に彼らに接触していなかったはずはないだろう.
また,引用した「エンネアデス」の一節は終始一貫して「光」のメタファの織り出すテクストだった.「華厳経」も隅から隅まで「光」のメタファの限りない連鎖,限りない交錯,限りない重層の作りなす盛観である.
この「光」の世界全体の中心点が眩いばかりに光り輝く毘盧舎那仏であることに注目したい.「毘盧舎那仏」,原語はヴァイローチャナ,語源は「燦然と輝く」といい,万物を遍照する太陽,「光明遍照」,「光の仏」を意味する.華厳的世界の原点,「華厳経」の教主が,このように根源的「光」の人格化としての太陽仏であるという事実になんとなくペルシャ的なものを感じる.ゾロアスター教の「光」の神.アフラ・マズダの揺曳する面影を重ねてしまうのだ.
古代イランの「光」の宗教が,華厳の存在感覚の形成に影響したのではないかという妄想に駆られてしまう.またこれが,全く無意味な妄想だと切り捨てられない面もある.
「華厳経」が編纂されたのは西北インドあるいは西域においてであり,特に于闐(ホータン,Khotan)が,この大事業の中心地だったと言われている.いずれにしても,この地域はギリシャ文化とイラン文化との交流するところであり,西域は特にその全体がイラン文化の圧倒的支配圏であった.ここにおいて華厳がゾロアスター教と親密な関係に入ったとしても何の不思議もないのである.